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東北大学法科大学院メールマガジン第9号 05/23/2006 ◇オープンキャンパスのご案内 東北大学法科大学院では下記によりオープンキャンパスを実施いたします。
参加を希望される方は,
opencampus@law.tohoku.ac.jp 宛
てに,氏名・連絡先・所属・模擬講義のクラス希望(既修者クラス/未修者クラス)を明記の上,事前にご連絡いただけると幸いです。
※オープンキャンパスに関しては,下記サイトもご覧下さい。 今回は,仙台高裁判事を含む35年の裁判実務を経て,現在,本学法科大学院で,実務民事法など民事法系科目と法曹倫理を担当している石井彦壽教授(Prof. ISHII Hikonaga)のエッセイをお送り致します。
「新任裁判官のための十戒」 旧約聖書には、神からモーセに与えられた十戒が記載されていますが、アメリカには、ミネソタ地区連邦地方裁判所エドワード・J・デヴィッド首席裁判官が1978年に公表した「新任裁判官のための十戒」というのがありますので,これから法曹とりわけ裁判官を志す方にその内容をご紹介します。 新任裁判官十戒(Ten Commandments for the New Judge)抄(ミネソタ地区連邦地 方裁判所Chief Judge J.devitt)
一 親切であれ(Be Kind)
二 忍耐強くあれ(Be Patient)
三 威厳を備えよ(Be Dignified)
四 あまりに勿体ぶるな(Don't Take Yourself Too Seriously) 五 怠惰な裁判官は劣った裁判官であると心得よ(Remenber That a Lazy Judge Is a Poor Judge)
六 判決が破棄されても落胆するな(Don't Be Dismayed When Reversed)
七 重要でない事件は一つとしてないと心得よ(Remenber There Are No Unimportant Cases)
八 長期の刑を科するな(Don't Impose Long Sentences) 九 常識を忘れるな(Don't Forget Your Common Sense)
十 神の導きを祈れ(Pray for Divine Guidance) 「親切であれ」、「忍耐強くあれ」とは、裁判、和解、調停のみならず、日常すべての場面で求められる心構えでしょう。裁判所全体としても、国民に利用しやすく、分かりやすい裁判所を目指しております。 「威厳を備えよ」とは、法廷における、品位と秩序を厳正に保つために必要なものと理解すべきものでしょう。日常においては、その人本来の人格から意識しなくても自然に滲み出てくる威厳であれば格別ですが、意識して、威厳を保とうとすると、次の「あまりに勿体ぶるな」ということになろうかと思われます。
「怠惰な裁判官は劣った裁判官であると心得よ」ということについては、横田正俊著「法の心」から、次の部分を引用しておきます。 「判決が破棄されても落胆するな」とは、自分の判断が唯一絶対のものではないという謙虚さをもつこと、また、明らかな過誤があって破棄されたのであれば、その原因となった自分の弱点を素直に見つめ、それを正すことに吝かでないことを求める言葉であろうと思われます。 「重要でない事件は一つとしてないと心得よ」とは、マンネリになって心のこもらない仕事をしてしまわないようにするための戒めです。また、当事者にとっては、一生に一度の大事な事件であるかもしれません。 「長期の刑を科するな」とは、「バランス感覚と方向感覚」を持てということだと解すべきでしょう。 「常識を忘れるな」という言葉も大切です。常識あるいは一般教養は、正しく判断するための過程においても必要ですし、判断の結果も勿論常識からはずれたものであってはならないわけです。 「神の導きを祈れ」という言葉は、キリスト教国では素直に理解されると思われます。日本では、神社仏閣などに参拝して、御利益祈願をすることがありますが、ここでは、そういう意味ではなく、裁判官は、人の運命を大きく左右する仕事に携わっていること及び人知の及ばないことに対し常に謙虚であらねばならないことをこの言葉が示していると解すべきであろうと思います。 なお、若干意味が違いますが、この言葉から、板倉周防守重宗の次のような逸話を思い出します。
重宗は、庁に出る毎に西に向ひ遥に拝して黙祷した。その理由を人から問われたとき、重宗は、次のように答えたという。 要するに、重宗は、裁判をするに当たり、自らの心に及ばんほどの私の心(自分では気づかない程の私心、予断偏見等)をすら持つことを戒め、もし誤ってそのような心を持って裁判をした場合には、たちどころに命を召させ候へと神に祈願したというのです。 裁判官というポストは、決して自分の人格の一部ではなく、いわばお預かりしているものと考えるべきものですが、そのポストには、前記の十戒が求められているわけで、自分の人格がその求められたものを備えるよう絶えず努力を続けなければならず、そういう意味で裁判官は人間性を磨く努力を求められていると思われます。 以上のように見てくると前記の十戒は、法曹一元の理念からすれば必ずしも裁判官ばかりではなく、読み替えれば実は弁護士という職業についてもかなりの部分が当てはまるような気もします。第六戒のところは、読み替えれば「敗訴判決を受けても落胆するな」ということになるのでしょうか。
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