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東北大学法科大学院メールマガジン第46号 07/28/2009 ◇平成22(2010)年度の募集要項が発行されました
「平成22(2010)年度東北大学法科大学院学生募集要項」がホームページに掲載されております。東北大学法科大学院の修了者には、「法務博士(専門職)」の学位が授与され、新司法試験の受験資格が付与されます。入学を検討されている方は、ぜひご覧ください。
出願書類の用紙の請求は、入試関係資料請求ページ(テレメールWeb)から行うことができます。請求方法の詳細は、以下のアドレスにアクセスした後、ページ内の指示に従ってください。 ◇第4回連続講演会開催のお知らせ
東北大学法科大学院では、現在、修了生・在学生・教職員を対象に連続講演会を開催しています。
第4回 8月30日(日) 10時〜12時
東北大学法科大学院では、現在、修了生・在学生・教職員を対象に連続講演会を開催しています。 裁判員制度について 島田仁郎前最高裁判所長官
さて、本日、私に与えられたテーマは、裁判員制度です。この法律ができたのは平成16年5月ですが、法律によって準備期間として与えられた5年間は早くも経過し、先月21日から制度が発足致しました。報道によりますと、東京地裁の裁判員裁判第1号の公判は8月3日に開かれ、仙台地裁では既に2つの事件が起訴されており、いずれも7月16日に公判前準備が行われるそうですから、おそらく8月の終わりか9月の始め頃には次々と裁判が始まることになるでしょう。 ところで、申すまでもないことですが、この裁判員制度は、国民の皆さんのご理解とご協力なしにはやっていけないものです。ところが、ごく最近のNHKの調査によると、裁判員候補者となった方々にアンケート調査をしたところ、裁判所から呼び出されたなら行くと応えた人は77%にものぼるのに、選ばれたくはないという人が58%もおられたということでした。 でも、何故この制度が必要なのか、この制度にするとどんな良いことがあるのか、ということが分かって納得がいったなら、仕方がないというより、進んで参加しようという積極的な気持が沸いてくるのではないでしょうか。本日は丁度良い機会ですので、法律になじみの深い皆さんにその辺のことをお話しさせて頂き、皆さんを通じて1人でも多くの人に、なお一層のご理解を頂くと共に、今後のご協力をお願いしたいと思います。
○制度の概要 裁判員裁判を行う裁判所は、全国に50ある地方裁判所と、地方裁判所の支部の中で大きな10箇所の支部です。対象となる事件は、死刑または無期懲役に当たる事件や、故意の犯罪によって人を死なせてしまった事件のように刑の重い事件に限られます。どのような確率で裁判に参加することになるかといいますと、全国の刑事事件の1年間の数はおよそ10万件、そのうち裁判員制度の対象となる事件は、3%の3000件位、これを20才以上の有権者で分担するので、裁判員候補者として裁判所に呼び出されるのは500人に1人、実際に裁判員または補充員に選ばれて裁判に参加するのはおよそ5000人に1人、ということになります。そうすると、一生の間に裁判に参加することになる確率は、およそ100人に1人ということになります。
○制度を導入した理由 それでは、なぜ裁判員制度を導入することになったのかというと、その理由は、大きく分けて2つあります。第1には、一般の国民が裁判官と一緒に裁判をすることによって、裁判に国民の健全な社会常識が反映されるようになることであり、第2には、国民が裁判のことを良く知るようになり、その結果、国民の裁判に対する信頼がより強固なものになること、であります。 先ず第1の点について言えば、裁判の適正について、国民から一般的な信頼はあるものの、一方で、裁判官は世間知らずだとか、裁判の内容が世間の常識とかけ離れていると批判されることは希ではありません。このような批判があることを謙虚に受け止め、皆が納得のいく裁判を目指して、更に良い方向へ前進するためには、裁判に国民一般の方々に加わって頂いて、その方々の健全な社会常識を裁判に反映させるに超したことはないです。裁判員の人たちは、あくまで市民一般の私的な人間として、それぞれ自分の生の声をそのまま出せばよい、6人の裁判員の方々のさまざまな視点から見た意見が加わることによって、裁判の内容がこれまで以上に多角的で深みのあるものになることが期待されます。 第2の点について言えば、これまで国民が裁判について知るのは、傍聴するか、報道によるしかありませんでした。多くの人は傍聴もしないで報道を通じて知るだけですが、報道されるのは裁判のほんの一部にしか過ぎないし、その報道も不正確であったり、偏見が混ざることは避けがたい状況でした。人に刑罰を科し、長期間刑務所に入れたり、場合によっては死刑にまでする刑事裁判について、国民の間に不信感があるようなことは極めて望ましくないことです。国民の真の信頼を得るには、裁判員として裁判官と一緒に法廷に臨んで頂き、裁判官と一緒に合議をし、証拠の吟味をし、量刑について意見を交わすことによって、刑事裁判がどのようにして行われるのか、その実体を知りその重みを実感して頂くことが最善の方法であります。そうすれば、裁判に対する信頼感はこれまで以上に根強く強固なものとなることが期待されます。 裁判員制度が導入されるに至った主な理由は、以上の2点でありますが、その他に、刑事裁判の在り方が改善されるという大きなメリットがあります。 先ず第1に、一般の人に裁判に加わって頂くからには、難しい専門用語は避けて、分かりやすい言葉を用いなければならないことは当然ですし、裁判員が法廷で証拠を目で見て耳で聞いて、その場で心証をとれるようにしなければならないので、証拠はこれまでのように分厚い調書が何通も出されてそれをあとで熟読するということではなく、証人の口から直接聞く、簡潔で要点を突いた証人尋問が集中して行われるというのが、一般的な姿となります。取調状況の可視化、すなわち取調状況をビデオなどで再現して見せる方向に進み、証拠の調べ方がすべて分かりやすくなるので、傍聴している人にも、法廷で何が行われているかが良く分かるようになります。 第2に、裁判員にかかる負担をなるべく少なくするため、公判の日数を出来る限り短くするとともに、なるべく連続して開く必要があります。そのために、裁判を始める前に、公判前整理手続によって、事件の争点を明確にし、その争点について判断するのに必要な証拠を厳選したうえで、調べる順番やそれにかける時間まで計画を立てておくことになります。このような争点を中心とした集中的な審理はこれまでも刑事裁判の理想的な姿とされてきましたが、裁判員制度により自ずから実現されることになります。
○制度の意義 なお、この制度は憲法違反であるとの主張があります。そのような議論に対して、最高裁長官はじめ、最高裁全体として表立って反論していません。それは、制度が違憲であるということが具体的な事件で主張されたときに、裁判で決着をつけるべきことであるので、裁判の前に、先取りしてその判断を公にすることは相当でないということのためです。私の場合も、現職中に憲法判断を述べても差し支えないではないかという見方もあったかもしれませんが、現職の長官が裁判前に判断を示すのは相当ではないということで、控えていたのです。 今はもう退官した身で遠慮する必要はないと思いますので、私の意見を申しますと、そのような違憲論については全く納得がいかないのです。(1)被告人が裁判官の裁判を受ける権利を侵害するものであるといわれますが、憲法32条が保障しているのは「裁判所において裁判を受ける権利」であって「裁判官の裁判」と限定していません。(2)憲法は、裁判官の身分保障を規定しているが、裁判員は身分保障されていないのでそのような者が裁判するのは違憲であるという議論もありますが、裁判官が身分を保障されているのは、不当に罷免・懲戒されたり報酬を減額されたりしないように、裁判の独立を守るためであるところ、裁判員はそのような形で圧力をかけられることはあり得ないのだから、このような議論が不当であるのは明らかです。(3)憲法上、裁判員・陪審員について規定はありませんが、憲法制定当時これを憲法の条文にまで規定する必要をみなかったまでのことであって、規定がないということが違憲である根拠にはなりません。この制度は、民主国家・主権在民をうたった憲法前文の精神にまさに合致するわけでありますし、憲法制定当時、このような制度を設けることも考えられていたことは、憲法と同時に施行された裁判所法3条3項が、「刑事について、別に法律で陪審の制度を設けることを妨げない」と規定していることからも、明らかです。 私たちが社会生活を送る上で、犯罪は決して他人事ではなく、安全に暮らせる社会は、私たちの生活の基本であります。国民の1人1人が犯罪という現実に向き合い、犯罪者の処罰について真剣に考えることは、安全で平和な社会を守っていくために、大きな意義をもつものといえるでしょう。
○もろもろの不安に応えて 裁判員の役割は、法が定める手続にしたがって、調べた証拠から、被告人が検察官の主張する犯罪を犯したと認めることができるかどうかを判断すること(事実認定)と、それを認めたときに刑を決めること(量刑)の2つであります。事実認定は、法廷で、直接目で見て耳で聞いた証言や図面によって判断すれば良いのです。人の話を聞いてそれがどこまで信用できるかとか、図面を見てその場の様子を思い描くことは、誰でも普段日常生活において行っていることであって、裁判員に求められていることもそれと特段変わりがないことなのです。また、量刑については、法律によって定められた刑の範囲内でどの程度の刑が相当であるか、必要な場合にはこれまでの同種同様の犯罪についておよそどのような刑にされてきたかという資料もみたうえで、それぞれが相当と思う刑を言い合って多数決で決めるのですから、そんなに難しいことではありません。 なお、量刑の中でも、特に死刑は重い、重すぎるという声があります。たしかに、死刑を言い渡すことは精神的に大変重い負担であり、裁判官にとっても精神的に重い負担であるのは、裁判員と全く同じです。この世に裁判があって、死刑制度がある以上、誰かが死刑を言い渡さなければならない、それを裁判官だけに任せておいて良いでしょうか。死刑制度廃止の議論がありますが、私は、死刑を廃止するか存続させるかは、国民の総意で決めるべきことだと思っています。それには、国民が先ず死刑が求刑されるようなひどい犯罪に向き合う必要があるのではないでしょうか。裁判員として裁判に参加して、死刑を求刑されるような事件と向き合ってみて、それでもなお死刑にするのは酷であると思えば、そういう意見を述べれば良いのです。国民の皆さんの意見が反映された結果として死刑がどんどん減ることになれば、それはそれで結構なことではないでしょうか。死刑を含めて、量刑に一般市民の感覚が反映されるのは、裁判員制度の大きなメリットであると思います。 時間の関係で、私の話はこれで終わらせて頂きます。とくに、この場で、ご質問があれば、時間の許す限りでお答えしたいと思います。ご静聴有難うございました。
<質疑応答>
今回は前最高裁判所長官である島田仁郎先生によるご講演「裁判員制度について」の概要をお届けしました。講演概要の掲載にご快諾いただいた島田先生に、心から御礼申し上げます。 平成22(2010)年度東北大学法科大学院学生募集要項が、ホームページに掲載されております。出願書類の資料請求は、テレメールWebから行ってください。(請求方法の詳細は移動後のページ内の指示に従ってください。)
(募集要項) (杉江記)
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